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講演会「今女医であること」のご案内

昨秋、来日されたアメリカ医師会初の女性会長ナンシー・ディッキー先生も女性医師の出番はこれからだと強調されました。そこで、女性医師の現状やこれからの問題を浮き彫りにし、どのように対応ができるかを考える契機にしたいとこの講演会を企画しました。

講師の岩川真由美先生は、小児外科医ですが、与えられた場所だけにとどまることなく、非常にアクティブでエネルギッシュに活動されており、男性諸氏にもご紹介したいような方です。先生の型にはまらない生き方の源はどこにあるのか、楽しいお話がうかがえるはずです。

■日時:平成11年2月13日(土曜日)15:00〜17:00

■場所:長崎大学医学部 ポンペ会館1階

■演題「いま、女医であること」

■講師:岩川真由美先生(筑波大学臨床医学系講師)


講演会を開催して

近年のめざましい女性の社会進出にあわせて、医学生にしめる女子の割合や若い世代での女医の割合も高率となり、今後、医療・社会の分野における女性の果たす役割はますます、重要になると思われる。しかし、女医およびそれを取り巻く環境に関しては改善すべき問題も解決されていないものが多い。このような現状と将来を見据えて、何か行動を起こそうと、「長崎県女性医師の集い」と題して、講演会と 懇親会を企画した。講師は、昨年NGO[国境ない医師団(MSF)」の活動に参加した岩川真由美先生(筑波大学臨床医学系専任講師・小児外科専攻)に願いした。

女性医師としての知性と感性をいかしながら、気負わず、力ます、親睦を図りながら女医が抱える問題や期待される役割を本音で語りあえる場を共有しようと呼びかけたところ、県内から幅広い年齢層の63名が参加した。

岩川先生の講演は「いま、女医であること」 と題して、1時間あまり、自分の人生を振り返り、その時々の分かれ道でどう選択してきたかを率直に話していただいた。幼少時の父親や母親との関係、学校時代の葛藤、卒業後に小児外科の道を選んだこと、その後、女性としての結婚・出産・という山を乗り越えたものの、仕事との両立・パートナーとの対等な関係を保つことの困難さから離婚を経験。幼児を抱えて、外科医という時間の不規則な仕事をどうこなしたかとうよりも、壁に突き当たったら違う方向へ飛び出してみるという発想の転換。子供と二人で米国へ留学した際、」働く女性のための保育所が完璧に整備され、周囲のサポートによって、快適な生活であったこと。精神的にも生活面でもすでに自立できている17歳の息子とのうらやましいような親子関係。そして、昨年1月から6月の半年、父親の死をきっかけに、女医の道を選んだ原点、医療という世界共通の技術を生かし、困っている人に貢献するという初心に帰り、MSFの」活動の一環として、中国で地域の中心となる病院を再建し、二代目「はだしの医者」を集めて定期的に教育システムを確立してきた。そして、この教育システムは、現在の日本の医学教育で問題になっている臨床英をどう育てるかに非常に役に立っているとか。

楽しくテンポのあるお話、非常に感銘深く、会場との討論では「60歳に近くなり、NGO活動を考えているが?」「私も離婚を経験したが…」とか、「医学生だが、仲間であつまっても、やはり食事の世話は女子がという役割分担があって、おかしいなあと思う」という男性の発言もあった。長崎大学医学部長の斉藤寛先生は、「これからは、一人は働き、一人が家庭を守るという関係はおかしいし、成り立っていかないと思う。お互いが自立し、協力し合える社会を作るべきであろう。今後、女性医師が落ち着いて仕事のできる環境を整備することによって、日本の医師団へのより多様な価値観と生活経験を持つ」医師の参加の増加につながり、従来よりもはるかに柔軟な考え方をもつ専門家集団として市民の信頼を得ることになる。さらに、このような環境整備の努力が、他の分野の女性の地位向上に直結するのではないか。」とコメントされた。
講演会終了後の懇親会がさらに盛り上がってことはいうまでもない。(日本女医会・長崎県支部 石井伸子)

 

 

 

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